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花瑠璃

   
カテゴリー「妖怪」の記事一覧

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文車妖妃

文車妖妃
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「ふぐるまようひ」と読みます。
文車は内裏やお寺などで本を運ぶためのもので、
書庫が火事になったときに書物を持ち出すために置かれた車のこと。
その車が付喪神になったものらしいです。

『諸国百物語』では、
お寺に捨てられた恋文が鬼になって人を襲うとういう、
手紙の執念が妖怪化したものだとう説もあります。

個人的には後者の方が好きです。
恋文に憑くなんてなかなかロマンチックだと思います。

それにしても、執念系は女性の妖怪が多くてビックリしてしまいます。
女性は嫉妬深いという偏った考えが如実に表現されているみたいです。
管理人は嫉妬深くなることはあんまりないので、
偏見だ〜と叫びたくなります。。。
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人魚

人魚
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人魚は世界各地で目撃されている妖怪です。
全く違う文化圏で、同じようなものが生まれることがとても不思議です。
ジュゴンを見た人が皆見間違えたのでしょうか。

アンデルセンの『人魚姫』。日本の『八百比丘尼』。
前者ははかなくて悲しい恋の話。
後者は人魚の肉を食べてしまい、図らずも生き続けるてしまう尼の話。

日本の話には人間の後ろ暗い部分がにじみ出ている気がします。
不老不死を望む権力者の話はよくありますが、
不老不死であるが故に苦しむ『八百比丘尼』を通して、
永遠の命を望むことの愚かさが見えるような気がします。

最初に『八百比丘尼』を知ったとき、
自分は死んで土に還ることができる身で
良かったなぁと思った記憶があります。
自然の摂理に反すると人は罰を受けるとうことでしょうか。。。

雨女

雨女
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去年も描いた雨女。。。
ほの暗い雨の降りしきる中、
うすぼんやりとした光に照らされて、
嬉しそうに微笑んで立って巫女姿の女性。
なんて怖すぎです。

個人的に、雨女は元気で可愛いイメージです。
「雨降らしちゃいました!てへへ☆」みたいな感じです。
雨蛙や紫陽花も良いですね。
今回は紫陽花は描いてないのですが、雨蛙を描きました。
妖怪の薄気味悪さはを残したいという想いの現れということで。。。

ちなみに、管理人は雨が好きです。
雨の日に室内で読書するのが癒しです。
雨ってどうしてこんなに落ち着くんだろう。。。

橋姫

橋姫
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橋姫といえば宇治橋が有名です。
『源氏物語の宇治十帖』にも宇治の姫君二人(大君&中の君)
のことを橋姫と描いているシーンがあります。
「愛(は)し姫」から橋姫が来ているという説もあるくらいなので、
綺麗な妖怪なのではと思うのですが。。。

妖怪の橋姫は嫉妬深く、醜くて伴侶がいないらしいです。
石燕先生の絵には松やに鉄輪をつけて、
丑の刻参りのような格好をした橋姫が描かれています。
さらに川が氾濫しているかなり怖い絵です。

橋姫のいる橋の上で他の橋を褒めると厄災にみまわれるとか。
ちょっと怖い伝承などがあります。

なので美人なのに凶暴な性格で、
浮気なんてしようものなら、武器を振り回して
男性を追いかける的な感じでしょうか。

絡新婦

絡新婦
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「じょうろうぐも」と読みます。
女郎蜘蛛はメスが子供を育てるために、オスを捕食するそうです。
それが由来なのでしょうか。。。
男性の諸々を食い尽くす遊郭にいる女性みたいなイメージがだぶったのかな。
まぁ、それは男性目線の見解で女性目線では全く違う見解が得られそうです。

絡新婦は色々な伝承があってかなり好きな妖怪の一つです。
有名なのは『賢淵』でしょうか。

後、京極夏彦先生の小説にも『絡新婦の理』というのがあります。
「あなたが蜘蛛だったのですね。」と桜の舞い散る中で、
京極堂もとい中禅寺秋彦が犯人に問うシーンから始まるのですが、
幻想的な始まりで、とても印象的です。

イラストはちょっと去年とは変えて、鳥山石燕先生を踏襲せずに描きました。
日本画でも洋画でもイラストレーターでも、美人画が好きです。
毒々しいものも、爽やかなものも良いですね。

紅葉狩・雨女

紅葉狩・雨女
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紅葉狩と雨女、
「今昔百鬼拾遺 霧」の女性妖怪。
鳥山石燕先生の絵はいかにも妖怪なのですが、
個人的に女性の妖怪は美人が良いなぁという
思いで描いています。

美人な妖怪に心を奪われてしまった男とか、絵になりますね。
「紅葉狩」はその男性に退治されてしまいますが。。。
「高砂」と同様、能の演目などにもなっています。

「雨女」は巫女さんが雨乞いした姿に近いらしいです。
昔から特殊な力を持つと思われてしまった人は
崇める対象であるとともに、畏怖の対象でもあったようです。
それが、神格化されたり、妖怪にされたり、
人間の思考って面白いですね。

天狗・幽谷響

tengu
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鳥山石燕が描く「天狗」は所謂「天狗」ではなく、鳥っぽいです。
長い鼻はちゃんとした嘴で、鴉天狗に近いと思います。

「幽谷響」に関しては、面白いです。
現代なら山に音が反響して返ってくると分かっています。
でも、当時は妖怪の仕業だと思われていた。
こうやって絵を見ていると、時代によって失われていく
日本の文化を見ているような気がします。
科学の発展は妖怪を駆逐する。

京極夏彦先生も小説の中で言っています。
科学で解明できない部分に妖怪という名前を付けて、
オカルト(秘されたもの)という箱に入れているそうです。
科学で解明されてしまった時点で、
妖怪はオカルトという箱から出され、妖怪は妖怪ではなくなる。
京極氏の小説は読めば読む程深いです。

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